夢に向かって挑戦する人

夢を叶える為に私が選んだ道

1977年、大分県出身。立命館大学4年時の1999年、リーグ戦春夏を連続制覇。大学通算ベストナイン3回、MVP1回を獲得。同年秋にオリックス入団。ヒーローインタビューでの「勝利の雄叫び」は、現役引退するまでの代名詞の一つ。2011年に引退、鶏料理店「酒美鶏 葛城」のオーナーを務める。

葛城 育郎さんのストーリーインタビュー

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自分との戦いの日々、そして感じたプロの壁。

少年野球からプロ野球選手へ

伝説のキャプテン。

小さい頃から、公園でプラスチックのバットとやわらかいボールで野球をしていました。本格的に始めたのは小学校4年生で野球チームに入った時です。そこから中学・高校と野球を続けましたが、甲子園はほど遠かったですね。

その後、大学に進学してからも野球を続けていました。でもチーム自体があまり強くなかったんですよ。充分に野球をできていないように感じたので、先輩たちを差し置いて、いわゆるクーデターみたいなものを起こしたんです。

写真:葛城 育郎さん
大学時代にはベストナイン3回、MVP1回を獲得
自分たちのためにももっとチームをよくしたいという意味で、僕たちの考えを監督に説明しました。その後のキャプテン決めも、「俺がキャプテンやるから」って自分で言って決まったんですよ。それまではずっと、監督の指名制だったんですけどね。「伝説のキャプテン」とも言われましたけど、監督曰くこれまで僕のようなキャプテンはいなかったみたいです。

でも、そうやって行動してきた結果として、4年生の時にはリーグ戦で春・秋連続優勝して、神宮にも行かせてもらいました。きちんと結果を出すことができたので、よかったなと思っています。そうして大学卒業後は、逆指名でオリックスに入団したんです。

プロの世界へ

トレーニングの大切さを実感。

プロ入り前は「やってやろう」という気持ちが強かったんですけど、実際に入団してすぐに「プロの壁」っていうものを感じましたね。1年目のキャンプに外野手として入ったとき、イチローさんや田口さん、谷さんというような先輩方と同じグループで練習することになったんです。実際に一緒にやってみたら、スピードもパワーも何もかもが雲泥の差で、「自分はよくこんななかに入ることができたな」と思うほどでした。これがトップレベルなんだなって感じましたし、すごくいい経験になりましたね。

大学時代と比べて、プロは自分の成績がすべてなので、自分との戦いなんですよね。それに、人から見られることが多い立場なんです。ユニフォームを着てたくさんの人の前に立つと、他とは違う緊張感と力みもあるので、試合や練習の後は相当カラダの疲れが出ていましたね。そんな中で、先輩方がトレーニングを重視して毎日きっちりとこなしている姿を見て、その必要性や重要性を感じました。写真:葛城 育郎さん
プロでの日々は常に自分との戦いだった
ケガをすると野球ができませんから、ケガ防止のためにトレーニングの中で自分のカラダや体調を整えるという意味もありましたね。また、自分のチカラや筋力が数値に現れるという部分でも、必要不可欠なものでした。
その後、阪神に移籍しましたが、そこで出会った金本さんのトレーニングや練習内容の濃さには驚きました。すごく勉強になるし、そこを超えなければいけないという目標でもあったんです。金本さんを目指し、ゴールとしてそこへ向かって行けたので、僕にとっては大きな存在でしたね。

そう思いながら20代にやってきたトレーニング積み重ねの成果は、30代 になって出てきたかなと思います。歳を重ねて疲れがたまりやすくなるというのではなく、筋力的にも、チカラ的にも伸びてきて充実していました。

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