1975年、大分県生まれ。中学1年生からバレーボールを始め、高校卒業後は小田急ジュノーに入部。新人王を獲得。全日本代表にも選出された。2006年に引退した後、バレーボールチーム事務局の総務を務め、現在はファイテン商品の代理店として、スポプロ活動などにも取り組んでいる。
森山 淳子さんのストーリーインタビュー
バレーボールは中学1年から始めたんですが、初めは全く興味が持てなかったんです。身長が高いという理由で勧誘されて、ルールも何も分からなかったので、練習にもあまり行ってなかったんですよね。
大会で賞をもらったとき、母の喜ぶ姿を見て「この人のために頑張んなきゃ」と思ったでも少しずつ参加するようになって、2年のころは1回参加しては1週間休むというような感じになりました。でも1回教わると、次に行ったときもなんとなくできていたんですよね。
そうしているうちに、JOC都道府県対抗中学バレーの選抜に選ばれたんです。中学3年のときでした。そこからはスパルタでしたよね。「なんで私はここにいるんだろう」と思いながらも、なんとなくついていけて、大会で優勝したんです。賞もいただいたことがきっかけになって、高校は強豪校に行くことになりました。その賞をもらったとき、母がすごく喜んでくれたんです。うちは母子家庭で、小さい頃から母が1人で頑張っている背中をずっと見てきましたから、喜ぶ姿を見て「この人のために頑張んなきゃな」とも思いました。
高校卒業後は企業のチームに所属。活動の中で周りの人の応援を肌に強く感じた高校卒業後には、企業のチームに入りました。活動をする中で、周りの方の応援を肌に強く感じましたね。チームの会長さんにも、本当によくしていただきました。1年目には新人賞もいただいたんです。そういうことを通じて、バレーボールを「自分の職業」というのを越えた部分でやっていこうと思ったんです。
あと、高校のころを振り返ってみると、よく監督に「ただ単にバレーボールをしてるわけじゃないんだ」と言われていました。バレーボールを通じて、人生勉強をしているんだということをずっと言われ続けてきたんです。それに「人と人とのつながりがすごく大事だな」ということも知ることができました。そのつながりが、今の仕事にも役立っています。