1989年、和歌山県生まれ。父と兄の影響で野球と出会い、小学3年生から野球チームに所属。中学・高校ではソフトボール部でピッチャーとして活躍し、高校卒業後は実業団に所属。2009年に日本女子プロ野球機構による合同トライアウトに合格し、日本代表で活躍。2013年から埼玉アストライアに所属、同年プロ入り通算200本安打を達成した。
川端 友紀 さんのストーリーインタビュー
野球を始めたのは、家族の影響が大きいんです。父が野球チームの監督をしていたのですが、そこに兄も所属していて、自然とわたしも興味を持つようになりました。家でもテレビはプロ野球をつけていて、家族でプレーについて話していましたね。
父や兄の影響もあり野球を始め、中学ではソフトボール部へ入部野球のルールは、兄とやっていた野球のゲームで覚えました。兄とは素振りやキャッチボールをしたり、ティーバッティングも毎日していましたね。
兄と同じチームに入ったのは、小学校3年生の頃です。それから6年生までは硬式野球を続けたのですが、中学ではソフトボール部に入部しました。野球とソフトボールは、似ているように見えますが感覚が全く違うんですよ。まずボールの大きさが違いますし、自分のポジションが野球のときとは違っていたということもあります。わたしは野球では外野・ファースト・ピッチャーをやっていたのですが、ソフトボールではずっとピッチャーだったんです。現在守っているショートは、プロに入ってからです。
運命的なタイミングで出会った女子プロ野球。すぐにトライアウトに挑んだ高校を卒業して、ソフトボールの実業団に入ったのですが、やめてしまったんです。やめてからは、ソフトボールや野球をすることはほとんどありませんでした。その期間に国体にも出たのですが、思うようにいかなかったんです。そんなときに、女子プロ野球ができるという話を聞いたんですよ。気になって詳しく調べてみると、入団テストを受ける申込締切の1週間前でした。運命的なものを感じるぐらいにいいタイミングだったので、すぐに挑戦しようと決めたんですよ。
実業団をやめてからブランクがあったので、体力的にも技術的にも心配や不安はありました。けれどすぐに練習を始めて、なんとか準備をして入団テストに挑んだんです。その結果、無事合格してチームに入団することになりました。
今年で女子プロ野球は7年目です。わたしも女子プロ野球の選手として、7年目になります。少しずつですが認知度も上がってきて、知ってくださっている方も増えたなと感じます。
女子プロ野球の発展のため、プレーを磨き、見ている人に夢や感動を与えたいでも、まだ球場は満員にほど遠いんです。もっとたくさんの方に試合を見にきてほしいという思いは強いです。そのために、まずはわたしたち自身がプレーを磨かなくてはならないと思っています。そして、子供たちに目標としてもらえるようにならないといけないと思いますし、見ているファンの方にも夢や感動を与えられるプレーをしたいです。
現在は、練習や試合だけでなく、ファンの方との交流イベントや企画についても、スタッフと選手が一緒になって取り組んでいます。自分たちが野球を続けられるのは、いつもあたたかく応援してくれるファンの存在があってこそです。これからも支えて欲しいと思います。わたしたちもこのリーグが発展するよう、もっと努力して頑張っていきたいと思っています。