1990年、福岡県生まれ。小学2年生から野球チームに所属。中学2年生で女子野球日本代表に選出。高校・大学と女子野球の名門チームでレギュラーとして活躍、ワールドカップには4度出場し優勝に貢献。2013年からは女子プロ野球「埼玉アストライア」に所属。
※2016年7月取材時。2017年シーズンより京都フローラへ移籍。
中野 菜摘 さんのストーリーインタビュー
父が少年野球の監督をしていたんです。小さい頃から試合を見に行くことも多くて、ずっと野球に触れてきたんですよね。ボールで遊ぶ機会も多かったですし、野球はとても身近な存在でした。正式にチームに入ったのは、小学校2年生の頃です。チームに入ってからは、学校から帰るとすぐに着替えて練習へ行く毎日でしたね。周りの友人が遊んでいるのを見て、
野球をやめようと思う度に「やっぱり野球が好きだ」という想いにたどり着いた「いいな」と思うこともありました。でも、試合でプレーしたり、チームが勝利したときの達成感や喜びを知ってからは、「遊びたい」よりも「野球を頑張ろう!」という想いが強くなりましたね。
周りには、女の子で野球をやっている子はわたし以外いませんでしたね。小学生の間は、男女の力の差はほぼ感じませんでした。小学生って女の子の方が背が高かったりしますからね。でも、中学生になるといきなり筋力や体力の差を感じるようになって、苦戦しました。練習も厳しかったですし、野球をやめようと思ったことは何度もありましたよ。でもその度に、「やっぱり野球が好きだ」という想いにたどり着くんですよね。それでまた頑張ろうと思って、その繰り返しでした。そうして小学校2年生から26歳の今まで19年間、ずっと野球を続けてきたんです。
学生の頃は「女子プロ野球」がなかったので、いつかは野球をやめなければならない時が来ると思ってたんです。いつか社会人として働かなければいけないし、毎日野球をすることはできなくなるなと考えていました。でも大学3年生の頃に、女子プロ野球ができるというのを聞いたんです。始めは「ウソでしょ」と思いました。
午前は練習、午後は女子プロ野球のPR活動に打ち込む
その後、本当に女子プロ野球が発足されました。そして、当時わたしが所属していた女子野球の日本代表と女子プロ野球選手の強化試合が行われることになったんです。そこで「プロの力」というものを感じましたね。毎日練習をやっていると、これだけチカラがつくんだなと強く感じました。そして、わたしも野球だけに打ち込める環境で、思い切りやっていきたいと思うようになったんです。それが今のチームに入団するきっかけになりました。
現在は埼玉アストライアに所属して、毎日午前中に練習、午後は野球教室や試合の告知などというような、女子プロ野球のPR活動を行っているんです。ファンの方とのイベントが多いことも、女子プロ野球の魅力ですね。自分の好きなことをやれることはもちろん、自分の好きなことを知ってもらう活動ができるこの環境に本当に感謝しています。
そして、グラウンドまで届く声援でいつも選手を励ましてくれるファンの皆さんに、感謝しています。これからもよろしくお願いいたします。
小学5~6年生の頃、野球を続けていてもプロ野球には入れないしどうしようかなと悩んでた時期がありました。ちょうどそんな頃に、王貞治さんとお話をする機会をいただいたんです。その時わたしは、「女の子でもプロ野球選手になれますか?」と質問したんですよ。
王さんの言葉で変われたように、自分も子どもたちの「きっかけ」になりたいすると周りの大人の方が笑い始めて、わたし自身もこの質問は失敗したなと思ってシュンとしていたんです。でも王さんだけは違いました。
「あなたが実力を示してくれたら、僕がルールを変えてあげるから」と真剣に答えてくれたんですよね。本当にうれしくて、勇気をもらいましたし、この言葉が自分の中で何かが変わるきっかけになりました。これまで以上に真面目に野球と向き合うようになったんです。
プロ野球選手になった今、野球教室などで子供たちと触れ合う機会も多くなりました。わたしも、子供たちにとって何かのきっかけになるような人になりたいと思っています。