1982年、愛知県生まれ。大学時代に俳優を志し、23歳で上京。舞台「秘密の花園」でデビュー。2007年には「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル」シリーズにて主演。2011年にはウルトラソングを歌うユニット『voyager』のスペシャル・クルーとして歌手デビューした他、舞台やテレビドラマへ多数出演中。
南 翔太さんのストーリーインタビュー
ずっと「夢」っていうものがなかったんです。大学を卒業したら何か仕事に就いて、結婚して、子供を育てて、幸せな家庭を築く。そうやって歩んでいくんだろうなってずっと思っていたんですよ。役者に憧れは抱いていたんですけど、なんとなく1歩を踏み出せずにいたんですよね。そんな時に読んだのが、沢木耕太郎さんの「深夜特急」という自伝でした。バックパッカーとして世界中を廻る中で、いろんな人と出会って、いろんな経験をしていく話です。それを読んだことがきっかけで、僕も同じようにバックパッカーとしてタイやラオスを1ヶ月間旅することに決めたんですよ。
僕にとって初めての海外でした。それにずっと実家で暮らしていたので、洗濯も料理もすべて親がしてくれていたし、朝も起こしてもらっていたんですよね。でも旅が始まったら、洗濯も食事も、朝起きるのも、自分でしなくてはいけない。明日は何しようかと考えるのも自分だし、出会う人たちも自分の行動ひとつで変わるんです。
自分の力で生きること、毎日を必死に生きている人たちに笑顔になってもらうこと。1ヶ月間の一人旅が夢への転機になった旅の中で、たくさんのバックパッカーの人たちに出会って強く感じたのは、「自分のしたいことに向かっていくには、自分で考えなくてはならないな」ということでした。自然と「自分の力で生きていかないといけない」と考えるようになったんですよ。そういう変化を経て日本に帰ってきた時には、自分がちょっと大きく感じましたね。
また、現地の人との出会いもたくさんありました。発展途上国で、1日1日を精一杯生きる人たちを見て、その人たちを笑顔にするために何かできないかと思ったんですよね。そこで思ったのが、自分が役者になることだったんです。街頭でTVやラジオは流れているので、それらを通じて、生きることに必死な人たちに少しでも笑顔になってもらいたいなと思ったんです。それで、帰国後すぐに役者の養成所に入ったんですよ。夢に向かって1歩踏み出すことができた、自分にとっての転機ですね。
23歳になる時に上京して、初めて舞台に立ったんですよ。その舞台のことは忘れもしません。出演者は、子供から知名度のある方までさまざまでした。オーディションを受けて出演が決まったのですが、僕は1番の新人だったんですよ。でも年齢は23歳で、決して若くはないという状況でした。そして僕の台詞は、「いたぞ、ここにいたぞ」というたった一言だった
23歳での初舞台。厳しい芸能の世界で経験した悔しさは、今も自分の糧になっているというんですよ。
芸能の世界は縦社会で、すごく厳しいです。僕自身、礼儀はしっかりしたい方なので、自分より経験の長い子供たちにも「おはようございます、よろしくお願いします」と挨拶することから始めました。期間中は、毎日誰より早く稽古場に行って掃除をして、その後に「いたぞ、ここにいたぞ」という一言をみっちり稽古しましたね。そして稽古の後はみんなを見送って、また掃除をするという繰り返しだったんですよ。誰かに見てもらえているわけでも、お礼を言われるわけでもなかったんですけどね。でもそれを3ヶ月続けました。
悔しさや、なんとか見返してやるという気持ちがものすごく強かったのを、本当によく覚えています。だから今、新人の子たちが同じようにしているのを見かけると、当時のことを思い出して「ありがとう」と声をかけたくなるんですよね。