夢に向かって挑戦する人

夢を叶える為に私が選んだ道

1965年、神奈川県生まれ。1983-1996年に、プリンセスプリンセスのドラマーとして活躍。数々のヒット曲の作詞も手がける。現在は結婚し、二児の母でありながら、2012年には東日本大震災の復興支援として再結成ツアーを行う。2013年からはランにも挑戦中。

富田 京子さんのストーリーインタビュー

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バンド再結成、イキイキした自分たちを見せたい。

バンド解散後

ドラマーの時よりも、主婦の方がカラダが疲れる。

写真:富田 京子さん
休むことのできない主婦業は、ドラマーの時よりもカラダの疲れを感じた。
バンド解散後は、新たなバンドを組んだり、いろんなアーティストのバックでドラムを叩いたりしていました。自分のやりたいことをやって、第2の青春みたいな感じでしたね。

その後は結婚して、子どもが産まれ、毎日主婦として母として家事や育児をこなしてきました。その中で、カラダにいろんな不調が出てきたんですよね。ある時、左ひじに痛みが出てきて病院にいくと、テニス肘と診断されたことがありました。主婦の人って、利き手と逆の手で重い荷物とかフライパンを持ちながら、利き手でいろんな仕事をこなしたりするから、同じように痛みを抱える人が多いそうなんです。そうやってカラダに不調があっても、育児中は病院に何度も通う時間がなかったですよね。カラダをしっかりケアしてあげたり、休むこともできなかったんです。ドラマーの時よりも、主婦の時の方がカラダは疲れますね。それに歳を重ねた分、体力が落ちたなということも感じていました。

バンド再結成、ファイテンとの出会い

わたしたちを見て、誰かが嬉しい気持ちになってくれたら。

2011年の東日本震災をきっかけにバンドを再結成して、ライブをすることになったんです。でもバンド解散から13年も経っていて、体力の衰えを感じていたので、当初はライブでドラムを叩き続けられるか不安でしたね。以前から、ドラマーは足から弱っていくと聞いていたんです。だから解散してからも、脚力を落とさないように走ったりすることを心がけていたんですよ。おかげで、不安を少しクリアできたんです。

でもバンド現役時代のことを思い出して、「また痛みをこらえる日々が続くのか…」と心配になりました。その時、ベースのあっこちゃん(The Body Care Company Vol.2参照)の紹介でファイテンを知ったんです。ファイテンの方に教わって、ボディケアを十分にしながらリハーサルに臨んだんですが、「痛くないまま終われるんだ!」と感動しましたね。それで、全員が笑顔で再結成期間を終われるよう、ファイテンにボディケアをおまかせすることにしたんです。写真:富田 京子さん
震災をきっかけにバンドを再結成。再結成ライブまでを痛みなく乗り越えられたのは、ファイテンのボディケアグッズのおかげ!
再結成を決めてから、ライブまでのリハーサル期間は1年間ほどでした。演奏の練習はもちろん、脚力以外の体力を取り戻すのにも苦労しましたね。わたしのドラムは、パワーヒッターで一曲入魂タイプなんです。若い頃はドラムを叩いた後も元気だったんですが、再結成してからは、集中してリハーサルをした帰り道には、疲れきっていました。帰り道、電車の中でぐっすり寝てしまうほどでしたね。

バンド現役時代は、とにかく自分たちが成功したいという一心で取り組んでいたんですが、再結成時は「わたしたちを見て、誰かが嬉しい気持ちになってくれたらいいな」という気持ちが大きかったんです。だから、体力に不安はあるけど、とにかくイキイキした自分たちを見せたいなと思って活動を続けました。再結成を終えてみて、燃え尽きたというより、「あぁ、楽しかった!」という気持ちが強かったですね。

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富田 京子さんが使用するボディケアグッズ

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