夢に向かって挑戦する人

夢を叶える為に私が選んだ道

1965年、神奈川県生まれ。1983-1996年に、プリンセスプリンセスのドラマーとして活躍。数々のヒット曲の作詞も手がける。現在は結婚し、二児の母でありながら、2012年には東日本大震災の復興支援として再結成ツアーを行う。2013年からはランにも挑戦中。

富田 京子さんのストーリーインタビュー

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「痛み」と戦い続けたバンド現役時代。

バンド結成

もがく中で気づいた自分たちの未熟さ。

楽器との出会いは中学時代。吹奏楽部で打楽器を担当したことがきっかけでした。すごく熱心に練習していたわけではないですが、楽しくやっていましたね。その後、高校2年生になって友達と組んだバンドで、ドラムを担当することになったんです。文化祭などで演奏していたんですよ。おもしろいなとは思っていましたが、正直なところ音楽を仕事にしようとは思っていなかったんです。そんな時に、バンドのオーディションを受けることになったんです。芸能界への憧れというよりも、「地元からちょっと離れた都会へ行って、オーディションを受ける」ということに憧れたんですよね。そのオーディションに合格して、バンドメンバーと出会うことになったんです。オーディションはパートごとに行われていたので、わたしたちはいわば寄せ集めバンドでした。知らない人たち同士で音楽をやっても、うまくいくはずがないですよね。バンド活動をする中で、徐々に人間関係を深めて、絆も深まっていったという感じです。

写真:富田 京子さん
現役時代はメンバー5人でいる時間が、とても貴重で楽しい時間だったと振り返る。
わたしたちはもともと、アイドルバンドとして集められて活動していたんです。けれど、わたしたちがやりたいのはロックバンドだったんですよね。あれ?と思って、そこから自分たちで曲づくりを始めました。演奏も上手くならないとって思って練習したり、事務所も移籍したんです。そうしているうちに、自分たちの未熟さにも気づけたんですよね。10代、20代の遊びたい年代だったけど、メンバー5人でいることがとても貴重で楽しい時間だったからやってこれた気がします。「わたしたちは永遠に売れないんじゃないか」と思った時もありましたが、50歳になった今思えば、たった2〜3年もがいていただけなのかと感じますね。

バンド現役時代

ずっと走りっぱなしのような感覚だった。

バンド現役時代は、本当に過密なスケジュールでした。ずっと走りっぱなしのような感覚だったんですよね。曲を作って、レコーディングして、その後はプロモーション期間に入って、ツアーをする。それをずっとやり続けていたんですよ。カラダも頭も常にフル回転状態で、ボロボロでした。それにあの頃は「痛み」との戦いの日々でしたね。ドラムを叩き続けているから、腱鞘炎やバネ指になってしまうんです。仕事の合間を縫って病院に行っても、安静にするようにって言われるんですよね。そんな時間はなかったですし、「休ませられないからこうなっているのに!」という感じでした。

写真:富田 京子さん
バンド現役時代は休むことなくいつもフル回転状態。ドラムを叩く手には常に「痛み」を感じていた。
そして1996年にバンドを解散する時は、47都道府県を全部まわるツアーをしたんです。わたしが30代に入った頃でした。たった数ヶ月で全国をまわって、ライブをしたんです。痛みという不安はありましたけど、ファンの皆さんに見てもらうのはこれで最後なんだって思うと「頑張らなきゃ!」と強く思いましたよね。でもそうやって力みすぎると、体調を崩したり、ドラムを叩く手も故障してしまったりするんです。当時は、ミュージシャンがボディケアをするような時代ではなかったですからね。テーピングやアイシング、簡単なマッサージは行っていたんですが、やっぱり十分ではなかったんです。

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