1959年、東京都生まれ。日本体育大学在学中、ウインドサーフィン世界大会に日本代表として出場。出産後にトレーナーとして活動を始め、2007年にモナリザ・エクササイズを考案。現在は、エクササイズDVD「TRF イージー・ドゥ・ダンササイズ」の監修等に携わる。
佐藤 一美さんのストーリーインタビュー
高校は女子校に通っていて、その中では、運動がすごくできる方だったんですよ。走っても、球技をしても校内で1位や2位をとれていたので、体育大の社会体育学科へ進学したんです。でも大学に入るとがらっと変わりましたね。周りは県大会等の上位者ばかりで、成績はどれも平均以下になってしまいました。周りに勝てるものがなく、「わたしは場違いだったのかな」と思いながら大学生活を過ごしていたんです。
でもそんな時に、人がやっていないようなスポーツをやれば、1位になったり、有名になれたりするんじゃないのかなと思ったんですよね。そして、ちょうどニュースで見て興味を持った「ウインドサーフィン」を始めることにしたんです。当時、大学のウインドサーフィン部の女子部員はわたしを入れて2人で、いつも男子に交じって本当に真剣に練習していました。自分でも成長できたかなっていう手応えがありましたし、
学生時代はウインドサーフィンで世界大会日本代表となった佐藤さん楽しんで取り組めていたのでやってよかったなと感じていました。その結果、大学4年生の時には世界大会に出場することができたんです。世界のトップ選手たちと一緒に海を走れて、本当にいい経験になりましたね。
大学卒業後はスポーツイベントの企画会社に就職しました。そして結婚して、2人の子どもを出産した後に、自分も何かやりたいなと思ってスポーツクラブのトレーナーのアルバイトを始めたんですよ。マシーンの使い方やストレッチの方法を教える仕事をしていました。子育ても、家族との時間も、トレーナーの仕事も、それぞれに楽しみながら過ごしていましたね。
スポーツクラブで働くうちに、スタジオでやっているグループレッスンに興味を持ったんです。それでインストラクターの資格をとって、エアロビクスやステップエクササイズ、ダンベル体操などを指導するようになりました。そんな時にスタジオで、ボクササイズのレッスンを見かけたんです。先生の動きがとてもかっこよくて、自分もやってみたいなと思い、ボクササイズの先生になるための学校に入りました。でもその学校に入ってボクササイズの先生を目指す人は、ほとんどがボクシングの動きが出来ていました。わたしはボクシングの経験が一切なくて、本当に憧れだけで入ったんです。
ボクササイズ指導者の資格を取得するため未経験ながらも養成学校へ入学だから卒業まで本当に苦労しましたね。実際のボクシングのフォームや形が上手くできなくて、先生から卒業させられないと言われてしまったんです。なのでボクシングジムに通って、泣きながらボクシングを基礎から学びました。結果として、ボクササイズの先生の資格だけでなく、コンタクトボクシングというミット打ちの指導者の資格もとることができたんですよ。
その後、いくつかのスポーツクラブでボクササイズのクラスを持ち始めてからは、「運動がちょっと苦手だけど、楽しそうだからやってみたいな」という人たちをサポートできるクラスにすることを目標にしていました。わたし自身、ボクササイズに関しては劣等生だったので、できない人の気持ちをわかってあげられるような気がしたんですよね。なので、とにかく自分のクラスに来た人は、必ず楽しませて帰らせてあげようっていう気持ちで担当していました。今もその気持ちは変わりません。なかなか上手くできなかった人が上達して見せる笑顔は、本当にキラキラして素敵ですよね。