夢に向かって挑戦する人

夢を叶える為に私が選んだ道

1964年熊本県生まれ。1984?1996年に、プリンセス プリンセスのベーシスト兼リーダーとして活躍。女性バンドとして初めての武道館公演を行う。解散後はソロで活動。現在は東京スクールオブミュージック専門学校の副校長を務める。2012年には、東日本大震災の復興支援として再結成ツアーを実施。

渡辺 敦子さんのストーリーインタビュー

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夢を叶える立場から、夢を支える側へ。

駆け抜けたバンド時代

明確な目標があったから、まっすぐ進んで来られた。

小さい頃から音楽が大好きで、ピアノやお琴を習っていました。でも、特に音楽の成績が良かったわけではなかったんですよ。中学生の頃にバンドブームがあって、とにかくかっこいいって思って、はじめはキーボードとしてバンドに参加しはじめました。けれど、練習をする中で、ベースの体に響く重低音が心地よく思えてきて。そこから、独学でベースギターを練習し始めたんです。元々わたしは、子供の頃から興味を持って何かを始めても、中途半端で終わる性格。でも、ベースは本当に熱中しましたね。学校の文化祭で演奏することを目標に毎日練習を続けながら、いつかプロになりたいって思っていました。そんなときに、オーディションに合格して、ようやくプロのバンドとしての活動が始まったんです。


最初の頃はまだ高校生だったメンバーもいて、学校にも通わないといけないし、どこか他力本願なところがあって。周りがなんとかしてくれるっていう意識が強かったんですよ。でも、活動する中で、もっと自分たちのバンドとしてのメッセージがないといけない。つくりあげられたものだけでなく、これからは自分たちでつくりあげていかなければいけないって、少しずつ気づいていったんですよね。わたしたちの目標は明確でした。「日本最高のコンサートホールである日本武道館でライブをする。」それが、わたしたち5人の夢だったんです。どんなことがあっても、5人の中にこのブレない軸があったので、しっかりと前に進み、武道館公演という夢を叶えられたんだと思っています。

写真:渡辺敦子さん

明確な夢を持ち、前に進み続けたからこそ成し遂げられた武道館ライブ

専門学校で「教える」という立場に

目標に向かって純粋にまっすぐ進む姿に感動。

バンドが解散してからは、ソロで活動もしていました。転機になったのは、これからどうしていこうかと悩んでいた時、事務所の社長から、「あっこちゃん、教えるっていうのはどうかな?」って言われたことですね。はじめは、自分で無理だと決めつけていました。誰かに教えるなんて経験もなかったですし。

けれど、見学に行かせてもらった専門学校で、学生さんの演奏を聴いてとても感動したんです。上手、下手とかそういうのは関係なく、ただ純粋にまっすぐ、音楽のプロというただ1つの夢に向けて走っている姿が美しく見えて。「わたしはこういうことを忘れていたのかもしれない、音楽はもっと楽しまなきゃ」と逆に教えられたんですよ。そこで、私の13年間の経験の中からも、何かアドバイスができるかもしれないって思いはじめたんです。それが、スクールオブミュージック専門学校での活動をスタートさせたきっかけですね。

写真:東京スクールオブミュージック専門学校

渡辺さんが副校長を務める、東京スクールオブミュージック専門学校

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渡辺 敦子さんが使用するボディケアグッズ

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写真:チタンテープ
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