History ファイテンヒストリー

ファイテンのひみつを紹介するにゃ!

第1話:ファイテンを作る前、平田の歩んできた思いと歴史

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ファイテン新第一工場着工式

私は20歳で好きな仕事である料理人の道へと進みました。
料理人としては修行を始めるのが遅かったので、身体に無理ばかりさせてしまいある時に倒れてしまいました。
長期入院を余儀なくされた診断結果は多発皮膚筋炎と呼ばれる膠原病。
親も失望するような病気でしたが、自分の病気の説明に納得がいかず、医学書を見て病気のことを勉強し始めました。
結果として薬に頼らないことを選び、医学では説明がつかない不思議なことでしたが回復を遂げました。

この入院生活の時に自分の病気が治ったことに対する興味が捨て切れず、大阪府知事の認定資格を取得し療術師という新たな道へ進みました。

資格を取得してから京都堀川で自分の治療院を開業しました。まわりは驚いていましたね、経験がなく開業してもダメだなんて言われました。
でも私にはある治療の方針があり、それに対する自信がありました。実を言えば、療術師の世界ではあまり「治す」ということをテーマにしていません。
肩こりを取るとか、腰痛を取るとか、それが仕事の主体になっていて、不調を「治す」のはやっぱり病院へ行ってください。というスタンスです。
私は自分の体験と勉強してきたことを通じて、「治す」ならば、日々家で行うホームケアがとても大事であるとの考え方を持っていました。
私の治療院では、身体の中から漏れる微弱電位を測定して行う生体電気に着目した治療を行っていました。
この治療は即効性があり患者さんには驚きを与えました。(実は自分でも内心驚いていました)
医療の検査現場でも使われているように、人体というのは動いている以上、電波を発しています。その電波を測定すれば、その臓器の状態がわかるわけです。
私はある仮想をしました、「生体電気を整えてあげれば、身体も治癒力があがり治っていくのではないだろうか」。
その技術のヒントは超伝導の技術素材の中にありました。
痛いところや気になるところに貼っただけで、生体電気を安定させることができ、治癒力があがるもの。
これなら面倒がって「治す」努力をしない患者さんでも使えるだろう。
治療院時代に患者さんに貸し出していた商品は進化を遂げ、いまファイテンのボディケア商品として、本当に多くの方に愛用されています。

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