夢に向かって挑戦する人

夢を叶える為に私が選んだ道

1977年、大阪府堺市出身。8歳から体操を始め、NHK杯、全日本選手権など数々の大会で優勝。2004年アテネオリンピックではキャプテンとしてチームを牽引。体操団体で金メダル、種目別鉄棒で銅メダル獲得。2008年の引退後、2012年に米田功体操クラブを設立。2013年からは徳洲会体操クラブの監督を務める。

米田 功さんのストーリーインタビュー

米田 功さんの夢を支えるボディケアアイテムはこちら

現役を引退し指導者へ。経験を活かしながら新たな領域にも着手。

リハビリ期間は今では大きな財産に

最も大切な『気持ちの向かい方』を伝えられる指導者を目指して。

アテネオリンピック後の2005年、練習中にケガをして手術をし、その後は復帰に向けてリハビリの日々を過ごしました。金メダルをとって注目される中でのケガ。北京オリンピックまでの4年間は、様々なことを考えて体操をし、生活をすることで、人間として成長することができた貴重な期間だったと思っています。この経験があるからこそ、指導者になった今、言葉に説得力を持たせて伝えることができるのではないかと思いますね。

僕は常々、技術は一つではないと思っています。現に、白井健三選手が床運動でF難度の後方宙返りで4回捻るなど、どんどんこれまでの枠を越えていっていますよね。そんな中で変わらないものは『考え方や気持ちの向かい方』です。僕自身、感情をコントロールするのが難しいということは選手時代に痛感していました。周りを見ても結果を残せる選手は自分の感情をコントロールするのが得意ですし、僕がオリンピックに行けたのも、写真:米田 功さん結果を残せる選手を育てる為に、改めてメンタルトレーニングについて学び、自身の経験を交えながら選手を指導している。感情のコントロールができたというのが大きいと思います。

この感情面について、人にどう伝えればいいかということを考えたとき、もっとしっかりと勉強した上で指導者になりたいと思いました。人に何かを伝えるとき、社会経験もなく体操界の中にだけいては人間として幅がでないと思ったし、守られた環境の中で安定しているのも嫌だったんです。それで1回まったく別の世界へ出て勉強しようと決意しました。メンタルトレーナーの養成スクールに社員として所属し、3年間自分の講座を持たせてもらいました。

ボディケアに対する意識の変化

ファイテン商品での体感を通して伝わる“ケアの重要性”。

ファイテンのことは大学時代から知ってはいましたが、陸上の選手が使っているというイメージでした。体操は本人の身体能力任せなところがあって、体のケアと言えば整形外科に行って診察を受ける程度のレベルだったんです。リカバリーするという感覚がなく、そういう面では遅れていたと思いますね。
監督になって2年目のとき、JOC(日本オリンピック委員会)のコーチアカデミーの講義を聞いて、いかにリカバリーすることが大切か気づきました。それまでは、練習の環境は整えようと意識していましたが、ボディケアやリカバリーは各自が勝手にやるものだと捉えていたんです。改めてそれらに目を向けてみると、できていない部分がいっぱいあり、環境として整えなければと思いましたね。

競技を突き詰めていくと、食事や睡眠など、練習以外の生活全てが影響してきます。ファイテンの商品は、選手に使ってもらうことで、そのことを伝えるツールとしての役割も果たしてくれます。写真:RAKUWAネック
選手にファイテングッズを使ってもらうことで、ボディケアの重要性を体感してもらうことができる。
体感してもらえるから、口で言うよりも伝わりやすいんですよね。積極的に「RAKUWAネック」を着けたり「RAKUシャツ」を着たり、「ふぁいてんの湯」を使ったり、「純金ピンクのおいしい水」を飲んだりと、練習以外の環境も自ら進んで整えようとする選手は、そのまま結果も出しているような気がします。プライベートが競技に直結するんですね。

僕自身も寝るときに「RAKUシャツ TCリバー」を着ているのですが、何より着心地がいいですね。動きにくさがないし、しっかり寝て朝起きられる。ちゃんと休息がとれているんだな、と満足できます。

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米田 功さんが使用するボディケアグッズ

RAKUWAネックX100
リーシュモデル
RAKUWAネックX100リーシュモデル
RAKUシャツ TCリバー半袖
(X100PART)
RAKUシャツ TCリバー半袖(X100PART)
米田 功さんの使い方
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