眞田選手が19歳の時、人生を根底から揺るがす大事故を経験しました。愛車の中型バイクに乗っていた際、見通しの悪い狭い路地で自動車と正面衝突して右足切断という重症を負い、当時大宮にあった赤十字病院へ搬送されました。
「右足が突然なくなり、生活が一変したショックは計り知れませんでした。当時は障害に関する知識がなく、義足でどんな生活ができるかも分からない状態で。不安でいっぱいでしたが、それ以上に僕の心を突き動かしたのは『一秒でも早く社会復帰したい』という強いモチベーションだったんです」
治療後、義足を作成・調整するために上尾市の埼玉県リハビリテーションセンターへ転院。そこは障害者の自立訓練を兼ねた施設でした。体育の授業で車いすスポーツを目にした眞田選手は、他の利用者から「『埼玉県障害者交流センター』なら無料で色々なスポーツができる」と教えられます。学生時代にソフトテニスの経験があった眞田選手はそこで車いすテニスの存在を知り、自身も再開。これが世界へと羽ばたく第一歩となりました。
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衝動が行動を生み、人生を切り拓く ―車いすテニス元日本代表・眞田卓選手が語る16年の挑戦とファイテンとの絆
19歳の時に予期せぬバイク事故により右足切断という大きな困難に見舞われた眞田卓(さなだ・たかし)選手。厳しい現実と未来への不安が襲う中、彼の心を動かしたのは「一秒でも早く社会復帰したい」という強い情熱と、病院で出合った車いすテニスでした。そこから頭角を現した眞田選手は、車いすテニスプレーヤーとして一気に世界へ躍進。パラリンピック4大会連続出場(ロンドン・リオ・東京・パリ)、2023年8月には「全米オープンテニス(車いす部門)」男子ダブルス優勝、日本ランキング1位、世界ランキング最高7位という偉業を成し遂げます。16年にわたり過酷な世界ツアーを戦い抜いてきた眞田選手に、ファイテンショップ勤務で培ったコンディショニング術から、「やる気は行動からしか生まれない」という独自の哲学、そして新たに情熱を注ぐ「ピックルボール」への想いまで、詳しく話を伺いました。
人生を一変させたバイク事故 ―19歳、社会復帰への強い情熱
20社への電話と運命の出会い ―ファイテンショップでの経験が育んだアスリートの原点
退院の目処が立った眞田選手は早速、就職活動を開始します。しかし当時は障害者の就労に関する知識がなく、コンビニで購入した求人情報誌を頼りに電話をかけ続ける日々でした。
「今考えたらハローワークや役所に出向けば援助してもらえたと思うのですが、知識がなかったのでとにかく自分で動き回りました。20社近くに電話をかけ、『障害がありますが働けますか』と問い合わせたんですけど、19社からは『前例がない』と断られてしまって。その中で唯一、『できるか分からないけれど、まずは面接に来てみなよ!』と声をかけてくださったのが、ファイテンさんでした」
面接の際、ファイテンの存在を知らなかった眞田選手に、担当者はファイテン独自の技術に関する考え方を例に出しながら気さくに説明してくれました。退院直後で義足を履くと激しい痛みが走り、立っていられるのは10分程度という状態でしたが、その痛みを隠して「やれることをやってみます」と意気込みを伝えた眞田選手。ファイテンショップでの採用が決定し、大宮にあるファイテンショップの店舗スタッフとして働くことになりました。
「病院からは『義足ができたら何ヶ月かリハビリに通ったほうがいい』と言われていましたが、僕にとっては社会に出て働くこと自体が最大のリハビリでした。ただ当初は立っているだけでも激痛でしたし、特に閉店後、距離のある銀行まで売上金を入金しに行くのは辛かったですね。痛みのあまり、車いすで出勤する日もあったほどです」
徐々に義足が馴染む中で、ショップ勤務を通じ、眞田選手は単に商品を売る以上の重要な接客の真髄を学んでいきます。
「ファイテンの仕事は、商品を売るだけでなく、お客様一人ひとりの悩みや生活背景に耳を傾け、一緒に課題を解決していくことだと教えられました。僕自身、大ケガを経験してカラダの痛みに向き合っていたからこそ、痛みを抱えて来店されるお客様の気持ちに深く寄り添えたんです。お客様とともに商品を選び、後日『すごく良かったよ』と笑顔で報告していただけることが最高のやりがいでした」
自身もファイテンの商品に助けられながら、お客様の悩みを解消していく――。このファイテンショップでの経験こそが、自身のカラダを客観的に観察し、コンディショニングを高めていくアスリートとしての思考の基礎となりました。
車いすテニス最高峰への挑戦 ―16年間のプロ生活を支えるコンディショニングとメンタリティ
2010年、眞田選手は車いすテニスにおけるプロ活動を本格的にスタートさせました。そこからの躍進は目覚ましく、日本代表として世界のツアーを転戦。2012年のロンドンパラリンピックを皮切りに、リオデジャネイロ(2016年)、東京(2021年)、パリ(2024年)と4大会連続でパラリンピック出場を果たしました。2023年9月にアメリカのニューヨーク市で行われたグランドスラム「全米オープンテニス(車いす部門)」の男子ダブルスでは悲願の優勝を果たし、ティファニー製の優勝トロフィーを手に入れます。
世代交代が進む厳しい競争の中、長年にわたり世界の第一線で戦い続け、眞田選手が16年目となる今も現役トップ選手(日本ランキング1位)として君臨し続ける背景には、緻密なセルフコンディショニングがあります。
「パフォーマンスを発揮するには、練習だけでなく運動・食事・睡眠の総合的な質を高める必要があります。特にメンタルとカラダは不可分です。試合に勝った時と負けた時で疲労感が全く異なるように、精神的ストレスはカラダの強張りに直結します。活性酸素をいかに抑えるか、ストレスをどう軽減するか。BCAAやアスタキサンチンなどのサプリメントの摂取や質の高い睡眠、信頼できるボディケア商品を活用することで、カラダと心の好循環を作り出してきました」
2025年に日本代表を引退(代表辞退)したものの、眞田選手は現在も国内大会への参戦を継続し、トップレベルの選手としての地位を守り続けています。
カラダの声に耳を傾ける ―眞田卓選手が実践するファイテン商品を用いたボディケア
車いすテニスで使われるのは、タイヤが八の字型に傾いた「キャンバー角」のある特殊な車いすです。重心を移すだけで自在に旋回できるため、コート上を縦横無尽に駆け巡ることができる反面、うまくコントロールしないとショットの瞬間にも、くるりと回転してしまうリスクがあります。そのため、上半身の体幹(コア)で姿勢をしっかり固定しなければなりません。強烈なスイングを支え続ける体幹や腕はもちろん、全身のバランスを司る首や肩にも、絶えず激しい疲労と目に見えない強張りが蓄積していきます。
こうした過酷な身体的負荷と向き合い、16年にわたって世界の第一線でベストパフォーマンスを発揮し続けてきた眞田選手が確立したのが、ファイテン商品をフル活用したトータル・ボディケアの数々です。
1. 全てのケアの根幹をなすベースコンディショニング:ファイテンの「アクアミルムG」
眞田選手のコンディショニングのすべての土台となるのが「水分補給」です。
「ファイテンショップで働く中で最初に深く興味を持ったのは『水(純金水/アクアミルムG)』でした。顧客の方にどんな商品をオススメしたらいいかを考える中で、カラダの70%以上が水でできている意味や、どうして水を1日2リットル摂取することが一般的に推奨されているのか、そして適切な水分補給が代謝に与える影響などをしっかり学びました。その結果、良い水をしっかりと体内に巡らせることが、すべてのボディケアの基本になると考えるようになりましたし、僕自身の健康に対する意識そのものが劇的に変わったのはファイテンのおかげです」
2. 深部疲労を翌日に残さないリセット術:メタックスローションと手技ケア
ハードな試合を終えた直後、眞田選手は30分ほどのエアロバイクでクールダウンを行い、ストレッチとシャワーを済ませてから入念な手技ケアに入ります。ナショナルチームのトレーナーに「メタックスローション」を手渡し、それを塗布してもらいながら約1時間かけたマッサージや鍼治療などを行います。
「自分のカラダの状態を最も理解しているのは自分自身です。ですので、トレーナーに"ここの部位をほぐしてほしい"など要望を出しつつ対話しながら、その日のケアを選択します。メタックスローションでほぐしてもらうと筋肉の強張りが和らぐ感覚があり、酷使した体幹や首肩の疲労が軽くなった状態で次のプレイへ向かうことができます」
3. 世界を転戦する過酷な移動を支えるリカバリーギア:ネックピローと抱き枕
年間を通じた海外遠征では、長時間におよぶ飛行機移動や、滞在先ホテルごとに異なるベッドの硬さが大きなコンディションの壁となります。移動中の機内では「ネックピロー」を愛用して首や肩への負担を最小限に抑え、ホテルではコンパクトで持ち運びやすいサイズのファイテンの「抱き枕」をベッドに持ち込んで就寝していたそうです。
「海外のホテルはベッドの硬さがまちまちですが、抱き枕があることで体勢を安定させやすくなります。おかげで質の高い睡眠がとりやすくなり、長旅による移動疲労やカラダの固まりを防ぐ大きな支えになっていました」
4. カラダの巡りを整える最新テクノロジー:ファイテンの健光浴シャワー
最近は手に痛みが走ることがあるという眞田選手。取材中、実際に光を手に当てる体験を通じ、ファイテンの独自の光テクノロジー「健光浴®」がもたらすカラダの変化とその可能性に大きな関心を寄せました。光を当てることで、カラダに心地よい変化を感じられるといいます。
「健光浴シャワーはデザイン性もとてもいいですね。変化が目にみえる形で可視化されているのも素晴らしいと思います。コンパクトで持ち運び可能なので移動中にも光を当てられますし、痛みのある手のケアに導入していきたいです」
「やる気は行動の後にしか生まれない」 ―デザインと衝動が創り出す未来
眞田選手は日本代表を退いた後も、現役の車いすテニスプレイヤーとして国内大会で活躍する傍ら、社会貢献活動として小中学校や企業研修などで精力的に講演を行っています。そこで一貫して伝えているのが「やる気と行動のメカニズム」です。
「『やる気が出てから動こう』と考えがちですが、実はそれって逆じゃないかと思うんです。行動を起こすからこそモチベーションが湧き上がり、『やってみたら上手くいった』とか『失敗したけど次は工夫しよう』みたいなプロセスが生まれるのかと。現状を変えたいなら、例えば5分でも早く起きて動いてみるとか日常の行動を変えてみる。その先にこそ、思いがけない出会いや『衝動』が待っているはずです」
この「衝動」という言葉は、2015年に株式会社GKダイナミックスと立ち上げた共同研究「Sanada × GK Dynamics project」の原点でもあります。同社とともに、デザイン性に優れた義足カバーや競技用車いすの開発に取り組みました。
「ファイテンショップで働いていた頃、商品を試したお客様が『えっ、何これ!』と驚き、感動される瞬間を何度も目の当たりにしました。そうした驚きや感動といった『衝動』こそが人の心を動かす原動力になりますし、それってデザインも同じだなと。機能性重視だった義足にカッコいいデザインを取り入れることで、履く本人がワクワクできるだけでなく、見る側も『かわいそう』ではなく『すごい! どうなっているんだろう?』とポジティブな好奇心を抱いてくれたらうれしいですね」
「心のよりどころ」を胸に ―次の未来を切り拓くべく、車いすピックルボールへの新たな挑戦
飽くなき行動力を持つ眞田選手が現在情熱を注ぐのが、全米で大ブームとなっている「ピックルボール」の日本での車いすピックルボールの普及です。アメリカで爆発的な人気を誇る「ピックルボール」は、2023年の調査で約4,830万人がプレーしたと推計され、急速に普及している注目のスポーツです。テニス・バドミントン・卓球の要素を融合し、年齢や運動経験を問わず、誰もが気軽に楽しめるユニバーサルスポーツ。テニスコートの約1/3の広さで行われ、ネット際に「ノンボレーゾーン」があるため力任せでは勝てません。子どもから高齢者、障がいの有無を超えて同じコートで対等に楽しめます。
「ピックルボールは、ルールを覚えて10分程度で誰でもすぐに試合が楽しめる最高のインクルーシブスポーツです。コートも小さくて参入障壁が低いので、車いすスポーツの裾野を広げるツールになるんじゃないかと期待しています。僕自身も『ピックルボール日本連盟』のパラ部門役員として活動させてもらっていて、所属しているTOPPANの社内でピックルボールの大会や講習会を行うなど、障害者スポーツの普及、車いすの理解促進に尽力しています」
ロンドンからパリまでパラリンピック4大会を駆け抜け、日本代表を引退した今もなお、国内トッププレイヤーとして、そしてピックルボールの伝道師として挑戦を続ける眞田選手。その16年にわたる過酷な現役生活を支え抜いているのは、信頼できる仲間と、常に寄り添い続けたファイテンの存在でした。
「ファイテンショップスタッフとしてお客様の痛みに寄り添った日々も、アスリートとして世界の頂点を目指した日々も、ファイテンは僕にとって常に『心のよりどころ』でした。最初に出合った時の感動や衝動があったからこそ、ここまで走り続けることができたと思っています」
自らの行動で人生を切り拓いてきた眞田卓選手。これからもコート内外で多くの人に「行動する勇気」を届け、スポーツの持つ可能性を広げ続けていきます。
取材を終えて
「現状を変えたいなら、いつもの生活動線から一歩踏み出し、5分でも10分でも早く起きて行動してみること」――眞田選手が繰り返し強調するのは、行動を起こした先にしか新しい未来は訪れないという真理でした。長年、日本の車いすテニスプレイヤーの柱として世界を相手に戦い抜いてきた彼の視線は常に未来の可能性へと向けられています。苦難に屈せず、衝動を原動力に人生を切り拓き続ける眞田選手の道は、これからも多くの人に挑戦する勇気を与えてくれるでしょう。その活動をファイテンは応援し続けます。
眞田卓(さなだ たかし)プロフィール
1985年生まれ。19歳の時に遭遇したバイク事故により右足を切断し、義足と車いすの生活となる。リハビリ施設で車いすスポーツと出合い、車いすテニスを開始。ファイテンショップ勤務を経て、2010年より本格的にプロ車いすテニスプレーヤーとして活動を始め、ロンドン(2012年)、リオデジャネイロ(2016年)、東京(2021年)、パリ(2024年)のパラリンピック4大会連続出場。日本ランキング1位、世界ランキング最高7位。2023年8月には「全米オープンテニス(車いす部門)」の男子ダブルスで優勝するなど国際大会で実績を残す。2025年に日本代表を引退後も、現役選手として国内大会に出場を続けつつ、企業や学校での講演活動、ピックルボール日本連盟のパラ部門役員としてパラスポーツの普及活動に取り組んでいる。