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藤原芽花選手(車いすバスケットボール)×鶴埜益巳先生(理学療法士)対談 ― 身体の『声』が届かない空白の1年を経て ― グレーゾーンから挑む、夢の舞台への最短距離

パラアスリートの藤原芽花さん。大学時代に所属していたハンドボール部の練習中の転倒をきっかけに腰に激痛が走り、その後歩行困難に。葛藤の日々を乗り越え、次々と色々なパラスポーツに挑戦し続けた彼女。大学スポーツ協会が主催するUNIVAS AWARD 2023-24パラアスリート・オブ・ザ・イヤー最優秀賞の受賞をはじめ、パラアイスホッケーではワールドチームの一員として国際競技大会で銅メダル獲得に貢献。2022年から本格的に車いすバスケットボール競技を始め、現在は2028年のロサンゼルス・パラリンピック出場を目指して車いすバスケの練習に専念する日々を送っています。なぜ彼女はそれほどまでにポジティブに世界を目指せるのか。理学療法士の鶴埜益巳先生と共に、その強い精神力と、彼女を支えるファイテンの技術に迫ります。

運命を変えた「軽い転倒」と、目覚めた瞬間の確信

藤原さんは京都の洛北高校に在籍していた頃はハンドボール部に所属し、3年生の時にインターハイで8強入りもされたそうですが、大学2年生の時にハンドボールの部活動中の転倒がきっかけで車いす生活になったと伺っています。

藤原:本当に、どこにでもあるような「軽い転倒」が始まりでした。練習中に転んで腰に痛みが走った時は"以前、手術したヘルニアの再発かな"と思い、最初は様子を見ていました。でも3ヶ月後に激痛で倒れ、手術のために入院することになりました。手術直前の3日間は、痛みで意識を失ってはまた痛みで目が覚めるというのを繰り返していて。

その時の恐怖は想像を絶しますね。

藤原:手術が終わって、ふと"トイレに行こう"と立ち上がろうとした時、全く足に力が入らなかったんです。その瞬間に、直感的に「あ、私はもう二度と立てないかもしれない」と悟りました。ドラマならここで絶望して落ち込むシーンかもしれませんが、不思議と私自身は、リハビリで出合う最新のロボットや機械を見て"特別な時間を過ごしている"と、どこか面白がっている自分もいたんです。

病名のつかないグレーゾーンの中での孤独な戦い

しかし、退院後には新たな困難が待ち受けていたそうですね。

藤原:はい。自分の意志とは関係なく、身体が「く」の字に折れ曲がるほどの激しい不随意運動が始まったんです。大学病院で精密検査を繰り返しましたが、脳にも筋肉にも、精神的にも「異常なし」という結果でした。病気が見つからず病名もつかなかったので障害者手帳も発行されず、健常者でも障害者でもないという宙ぶらりんな状況でしたし、車いすでどうやって生活したらいいのかもよくわからないまま退院することになりました。自分の体なのにその状態も把握できず、今後どうしたらいいのかも誰にもわからない......という、まるで出口の見えない中でもがいているようなグレーゾーンの状況に当時は苦しんでいました。

鶴埜:その状況、本当にお辛かったことと思います。医学的には説明がつかなくても、自覚症状が出たり身体が動かしにくくなることがあります。お話から藤原さんは、CTやMRIなどで確認できるような器質的な神経損傷がないため、"何らかの機能的な問題"と医師の先生方はお考えになったのではと思います。脊髄神経の機能的な問題は「脳の中の身体」と「実際の身体」のズレによって生じることが分かっています。しかし、ズレの生じ方やズレによる頭の中の混乱、その混乱への対応などは人によって大きく異なるのです。とてつもなく激しい痛みや不随意運動が生じることも多く、そのような苦しい思いをされている方は、少なからずいらっしゃいます。また、藤原さんのおっしゃった"グレーな状態"に置かれることで、身体や生活が大変なのに、公的支援が届きにくいことも聞いております。

藤原:障害者手帳が交付されない間はやっぱり大変でした。レンタル品の車いすだと駅から病院までの移動に30分ほどかかっていたんですが、手帳が交付された後は自分の車いすを作ることができて移動時間が5分に短縮されたんです。タイヤの大きさや位置が少し変わるだけで、漕ぎやすさが全く変わるんですね。何よりも自分の生活を自身で整えられないという環境が本当にストレスでしたので、障害者手帳の発行によって支援を受けられるようになったことや、パラスポーツを通して車いすユーザーの方々と繋がり、自立した生活の仕方を教えてもらったことで世界が激的に広がったのを覚えています。今はITB療法(薬を脊髄周辺に直接投与することで筋緊張を緩和する治療法)で症状をコントロールできるようになったことも大きいです。

「脳」と「身体」のズレを埋める、ファイテンの「膜」

現在、藤原選手はファイテンの製品をケアに取り入れておられますが、特にメタックスローションに助けられているとお聞きしました。

藤原:私の身体は、刺激にとても敏感です。特に身体の左側のラインに刺激が入ると不随意運動が出るんですが、それをほぐそうと直接触ると逆に筋肉が固まってしまうんです。でも、ファイテンのメタックスローションを塗ると"身体に一枚、薄い膜を張ったような感覚"になります。刺激がいきなり当たるのではなく、クッションが間に一枚入っているような柔らかい感覚でほぐせるんです。

鶴埜:脳や脊髄の障害のために、手足が突っ張ったり、固くなる状態を「痙性(けいせい)」と言います。脳から脊髄に運動指令を届ける神経が損傷することで生じますが、藤原さんのように機能的な問題によっても生じる場合があります。痙性も人によって同じではありません。藤原さんの脳の中には、まだ元気に走り回っていた頃の「ハンドボールをプレイする動きのイメージ」や、その当時の身体の状態である「身体像」が強く残っています。そのイメージや身体像で運動指令を届けようとしても、器質的な損傷や機能的な問題があれば、身体はその通りにいうことを聞いてくれません。まだ、きちんとした医学的なエビデンスはありませんが、その「脳の中のイメージと実際の身体のズレ」は不随意運動を生じる一因と考えられています。過去にそのような症状が生じる方々を少なからず拝見してきました。そのような方々に私がよくお話しさせていただくのが、ボディケアの重要性です。なるべくズレを減らすのに身体の自己管理は外せません。ファイテンの技術は固くなった筋肉を緩めることが分かっていますので、その特性をうまく活用することでズレを減らせると考えています。またそれだけでなく、ズレのない身体の部分は常に酷使されることになりますから、そのボディケアにも活用できます。

藤原:ローションを実際に使うと、麻痺している側が"すごくあったかい"と感じるんですよね。

鶴埜:表面の体温の変化をサーモで測定したことがあるんですが、物理的な温度は実は変わってないんですよ。

藤原:ええ、そうなんですか?

鶴埜:そうなんです。すごく不思議なんですが、麻痺した身体部位にファイテン技術を使うと「温かいです」とおっしゃる方が多いんです。私は日頃、脳の病気で片麻痺という、左右どちらかの身体に症状がでている方を多く拝見していますが、麻痺した身体のほうでは温かく、健常のほうではそう感じないというのを、行ったり来たりしながら、一緒に「なんでだろうね」と話すことがよくあります。あくまで私だけの仮説ですが、脳は筋肉が固い状態は冷たく、ほぐれた状態で温かいとの関係性の認識があるのだと思います。当然、筋肉が固いと毛細血管は細くなるので血流が悪くなり、ごくわずかに局所の体温が変化することもありますが、そんなに極端なことではありません。そのため、「筋肉がほぐれる=温かい」と脳が認識してしまうのではと個人的には考えています。しかし、実はこのことがボディケアに使えるとも思っています。筋肉が固くなっているのは自覚しづらく、肩こりや腰のこりはひどくなって、痛みが出てやっと分かります。ファイテン技術を使うと、その温かさを頼りにボディケアが必要なところを入念に見極めたり、なぜそこが疲れるのかの原因を探るのに使ったり......他にもまだ言えない内容も含めて、たくさんの利点があると思います。

藤原:私は坐骨神経痛にも悩んでいるのですが、身体のどの箇所にファイテンの商品を使うといいですか?

鶴埜:座り方や車椅子のこぎ方を拝見するに、坐骨神経痛を引き起こしている可能性のある筋肉にアプローチしたほうがいいと思います。藤原さんの場合は、先ほどのお話からメタックスローションと相性が良さそうなので、お尻の大きな筋肉、大臀筋と言いますが、そこからほぐしていくと良いと思います。

藤原:大きい筋肉からほぐしたほうがいいんですか?

鶴埜:そうです。人間の身体の表面は大きな筋肉が多いため、そこからほぐして、徐々に奥のほうにある細かな筋肉へと進めるイメージです。あと、先ほど身体を動かす時に、その動きを妨げるような引っ張られる感じのお話がありましたが、その引っ張られているところへ健光浴Ⓡを当て、その感じが変わるか確認してみていただいても良いと思います。私はこの方法をよく使っていますが、人によってファイテンのどの商品が合うかは違うので、オフシーズンの時に自分の身体のコンディションを見ながら色々な商品を試すのがいいと思います。

「マイナスをゼロにする」信頼感―ナノメタックスコーティングが見せる可能性

車にナノメタックスコーティングを施工されてから遠征での疲労感も違ってきたそうですね。

藤原:はい。私は京都から東京のトレーニングセンターまで片道7~8時間、自分で運転して遠征に行くんですが、以前は練習場へ到着した時には腰がバキバキで、合宿の最初の2日間は痛みを引きずっていました。車いすの場合、車に乗っている時も降りた時もずっと座っている状態ですから本当に身体が固まってしまうので、それをほぐすケアの時間が必要になるし、睡眠不足にもなって辛かったんです。でもナノメタックスコーティングをしてからは、ふとした時に"あ、そういえば痛みが出てないな"と気付いて。劇的な変化があったわけではないんですが、急激な変化を謳うものより、こうして"日常の中からマイナスが消える"という感覚の方が、私には何倍も信頼できました。睡眠時間を1時間多く確保できるようになりましたし。

鶴埜:遠征は普段とは異なる環境なので、ただでさえコンディショニングは難しいと思います。また藤原さんは長距離運転の移動もされているので、その"マイナスが消える"は非常に大きいのではと思います。

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強い精神力を武器に、最短距離で夢に挑む。藤原芽花の「使命」

藤原選手は、車いすバスケを始めて数年で強化指定選手に選ばれるという、異例のスピードで成長されています。過去にはバスケットボール以外のパラスポーツにも果敢に挑戦されていましたよね?

藤原:はい。私は最初に車いすハンドボールを始めたんですが、いろんな方との出会いやご縁もあって、車いすソフトボールやパラアイスホッケーにも挑戦し、パラアイスホッケーでは世界大会にも出場しました。様々な経験を経て、今は車いすバスケに打ち込んでいます。どんな時も楽しみながらたくさんのことに挑戦してきましたが、そのすべての経験が今の自分につながっていると感じています。まだまだキャリアも短く実績もありませんが、限られた時間の中で成長し、少しでもチームに貢献できる選手になりたいと思います。これからも楽しみながら挑戦する姿を、同じようにグレーゾーンの障害に悩んでいる方々に見てもらえたら嬉しいです。

鶴埜:藤原さんの強みは、自分の身体の状態をこれほどまでに正確に言語化し、管理できている点ですね。これは数千人の患者さんを見てきた私からしても、極めて稀な才能です。今日はお話できてとても感動しました。ありがとうございました。

藤原:こちらこそ、ありがとうございます。今の目標は2028年のロサンゼルス・パラリンピックに日本代表のメンバーとして出場することです。ファイテンの商品を活用することで、マイナスを減らして、そこから世界だって目指せると示していけたらいいなと思います。障害ばかりがフォーカスされるのではなく、純粋にスポーツの一つとしてパラスポーツの楽しさを伝えられたらと思いますし、いろんな挑戦を続けることで、私を救ってくれたスポーツと、支えてくれる方々に恩返しできたらなと思います。私のような「何かわからないけど体調が悪い、痛い」というグレーな人たちに勇気を与えられたらうれしいです。

対談を終えて

藤原芽花選手が語る言葉には、一度「失われた」身体を自らの意志で再構築してきた者だけが持つ、圧倒的な説得力がありました。健常者だった高校のハンドボール時代にもファイテンのRAKUシャツを着用した経験が藤原選手にはあったそうですが、その当時はカラフルなデザインに惹かれていたそうです。ですが今や、ファイテンの働きを日常生活で実感するようになり、限界を突破するために並走する不可欠なボディケアアイテムへと変わったのではないかと思います。彼女が目指すロサンゼルス・パラリンピックまでの道のり。ファイテンは、その一歩一歩を支える「技術の膜」として、藤原選手の挑戦をボディケアでサポートしていきたいと思います。

藤原芽花(ふじわら めいか)プロフィール

  • 生年月日
    2001年8月8日(24歳)
  • 出身地
    京都府宇治市
  • 所属
    佛教大学バスケットボール部車いす部門 指導者
  • 学歴
    佛教大学 教育学部 臨床心理学科2025年3月卒業
主な競技実績
  • 2023年・2024年
    皇后杯 日本女子車いすバスケットボール選手権大会
    優勝(所属:カクテル)
  • 2024年・2025年
    TOYOTA U25日本選手権
    出場(女子U25)
    2025 IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップス(AOC)
    準優勝(女子日本代表)

藤原選手が愛用するファイテン商品

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