夢に向かって挑戦する人

夢を叶える為に私が選んだ道

1986年鳥取県生まれ。小3からバスケットボールを始める。高校時代は総体とウインターカップに3年連続出場。2012年の神戸マラソンで3時間13分59秒でゴールし、女性タレントNO1ランナーとして注目をあびる。

西谷 綾子さんのストーリーインタビュー

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タレントへの夢、厳しい現実。

モデルタレントへの憧れ

親の反対を押し切って飛び出してきた東京。

わたしは小学校3年生から高校3年生までの9年間、バスケットボールをしていました。インターハイにも出場できましたが、とにかく練習が厳しくて、その頃のわたしの唯一の癒しといえばテレビだったんです。テレビに出ているタレントさんを観て、元気を貰って「明日も頑張ろう」っていつも思っていたので、その頃からタレントに憧れる気持ちはありました。

高校を卒業してからは、洋服に興味があったので洋服のデザイン学校に通っていたんです。でもそこでファッションショーを観たときに、洋服よりもモデルの方に「どうしてこんなにキレイなんだろう。わたしもなりたい」ってすごく興味を持ってしまったんです。そこですぐにタレントモデル養成学校のオーディションに応募したんですが、トントン拍子でオーディションに合格して養成学校に受かったんです。もう芸能界に入れるって舞い上がりましたね。親にはすごく反対されましたけど、前期でデザイン学校を辞めて、東京に行く春までの間にアルバイトをしてお金を貯めて、東京まで勢いで飛び出してきました。

はじめて直面した現実の厳しさ

「あなたは普通すぎる」ショックを受けた一言。

でもやっぱり現実はすごく厳しかったですね。モデル事務所に入って「ファッション雑誌のモデルになりたい」って言った時に、「モデルとしてやっていくにはあなたは普通すぎる」って言われた時は、すごくショックでした。ファッション誌にでている女の子たちって、ハーフだったり個性が強い中で、確かにわたしは普通だったんです。
それに「あなたは体型的にも、バスケットで鍛えた筋肉があるから無理」とも言われたんです。モデルさんはマネキンみたいに細くないといけないし、ファッション誌は10代の頃から経験を積み上げてきているモデルさんが沢山いるんです。写真:西谷 綾子さん 誰にも負けない自分だけの武器、辿り着いた 答えは「スポーツ」で勝負することだっただからわたしの入れるスペースなんて全くないと言われました。

体型を変えようと思って食べないダイエットも頑張りました。でも顔色は悪くなるし、冷え性や生理不順など体調を崩してしまって、悪循環に陥ってしまったんです。その時は本当に悩みました。「誰にも負けない自分の武器は何?わたしはどこで勝負したら良いんだろう」。そして辿り着いたのが、バスケットで鍛えてきた「スポーツ」の部分で勝負したいということだったんです。

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西谷 綾子さんが使用するボディケアグッズ

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