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もう一度、あの歓声の中で戦いたい――。車いすフェンシングから新たなフィールドへ、妻との約束を胸に不屈の挑戦を続ける恩田竜二

車いすフェンシング日本代表として東京パラリンピックの舞台に立った恩田竜二選手。22年前、不慮の事故で下半身の自由を失いながらも、彼は再びスポーツの世界で輝きを取り戻しました。しかし、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。繰り返される怪我に相次ぐ手術。絶望の淵に立たされるたび、彼を突き動かしたのは、最愛の妻・美和さんの「アスリートでいてほしい」という強い願いと、自身のカラダを支えるファイテンの最先端のボディケア技術でした。現在、肘の故障を煩う中でフェンシングから他競技への転向という新天地への挑戦を始めた恩田選手。彼が今、どのような想いで舞台を目指しているのか。その胸中に迫りました。

「事故の瞬間、足はどこにあるんですか?と問いかけた」――絶望からの再起

恩田選手のスポーツ人生は、中学生の時にバレーボールを始めたことがきっかけでした。愛知県の強豪校を卒業後、社会人になっても三重県の実業団チームでボールを追い続けていた28歳の時、勤務先で悲劇は起きました。1トンの荷物を運んでいた手動のリフトを坂道で操縦中、バランスを崩したのです。

「僕はジャッキー・チェンが大好きで、その影響か、自分の力で転倒を止められると思ったんです」と恩田選手は屈託のない笑顔でユーモアを交えて振り返ります。しかし、無情にもリフトのハンドルがその時に着用していた厚手の袖口に引っかかり、そのまま荷物の下敷きになりました。背骨を損傷した瞬間にパツンとした衝撃が走り、そこから下半身の感覚は完全に失われました。
「事故の際、リフトから崩れた部品の数々を片付けてくれていた会社の人が『恩田君、ちょっと足をどかして』と言った時、『足はどこにあるんですか?』と聞き返したのを鮮明に覚えています」

当時、まだ28歳。脊椎損傷の大怪我を負い、将来への希望に溢れていた若者の日常は、一瞬にして暗転しました。一時はスポーツから完全に離れ、リハビリで車いすへの身体移動や体重の乗せ方のコツを掴む中で、彼を再び競技の道へ引き戻したのは、元・医療事務の実務者であり、現在はアスリートフードマイスターの資格を取得して彼を支える妻の美和さんでした。

「僕自身、もともとカラダを動かすことが好きだったんですけど、アスリートであることを彼女が誰よりも望んでくれたんです」
健常者の時もバレーボールの実業団に向かう際には毎週のように練習場へ車で送迎し、時には「負けたら家に入れへんで!」なんて冗談を言いながら鼓舞し続けていた美和さんのその姿勢は、脊椎を損傷してからも全く変わりませんでした。「"まだまだやれるんじゃない?"と言って熱心に支えてくれる妻が近くにいたことが大きかったです。僕ひとりだったら、脊損のカラダでスポーツを続けようとはとても思えなかったので、本当に感謝しています」

運命を変えた一通のメール:自分にぴったりの「剣」との出会い

車いす生活になり、恩田選手は当初、自身のバックボーンであるバレーボールに近い「シッティングバレー」に挑戦しました。しかし、神経のない下半身で座ってプレーを続けることは、深刻な「床ずれ(褥瘡)」を引き起こすリスクがあり、断念せざるを得ませんでした。その後、車いすバスケットボールやテニスも試しましたが、性格的な「優しさ」ゆえに接触プレーに躊躇したり、障害のクラス分けの壁に突き当たったりと、自分に最適な場所を見つけられずにいました。

転機は、妻の美和さんが高校時代から交流を続けていたドイツ人の友人でした。少年サッカーの監督を務めていた美和さんの父が、来日したドイツのスポーツ少年団の引率者をホームステイで受け入れたことが縁で、長年手紙やメールでの交流が続いていました。恩田選手が事故に遭って脊損になったことをその友人に話すと、「実は僕は、国際フェンシング連盟(IWAS)の事務局長なんだけど、パラのフェンシングもあるから挑戦してみたら?」と教えてくれたのです。

「最初に話を聞いた時は、マスクでカッコいい顔が隠れちゃうじゃんなんて冗談を言って受け流していました(笑)。というのも実のところ、僕自身はそれまで球技しか経験がなかったのでやれるかどうか自信がなかったんです。しかし、実際に剣を握ってみると、相手を突き、斬る感覚が驚くほど自分に合っていました」
コンタクトスポーツでは相手を慮る「優しさ」が出てしまうという恩田選手にとって、一対一で技術とパワーをぶつけ合えるフェンシングは天職でした。競技開始からわずか2年でアジア大会銀メダルを獲得し、東京パラリンピックの切符を掴み取るという、まさに奇跡のような躍進を遂げたのです。

進化するパラアスリートの意識:技術を「信じる」ことから始まるリカバリー

アスリートとして結果を出す一方で、恩田選手は常に「疼痛」という見えない敵と戦っていました。脊髄損傷による後遺症としての神経的な痛み、そして車いす操作や激しい剣の振りによる肘の酷使。そんな彼がボディケアの重要性に目覚めたのは、ファイテンの技術との出会いでした。
当初は「本当に効くの?」と半信半疑だった恩田選手でしたが、試合会場のブースでファイテンスタッフと出会い、実際にテープを貼ってもらったことで意識が劇的に変わりました。

「実はだいぶ昔にファイテンのテープを使ったことがあったんですけど、その時は正直、あまり効果を感じなかったんです。それがスタッフの方に貼ってもらった瞬間に痛みがスーッと消えていって驚いて。実際に試合中に痛みが出ることもなくなって、正しく使うことが大切なんだなと実感して。今では『ファイテン信者』と自称するほど愛用しています」
パラアスリートにとって、カラダのケアは単なる「疲れ取り」ではありません。不自由なカラダの可能性を最大限に引き出し、日常生活の質(QOL)を維持するための、なくてはならない「インフラ」なのです。

【技術の裏付け】痛みと共生し、パフォーマンスを最大化する「ボディケア」

一瞬の判断と爆発的なパワーが求められる車いすフェンシングにおいて、筋肉の強張りは致命的です。恩田選手が実際に行っている、過酷な挑戦を支えるための具体的なケアの一部を紹介します。

筋肉の強張りを解き放ち、回復をブーストする:
メタックスクリーム ウエット & 健光浴シャワー

恩田選手は、激しい練習や試合で酷使する肘、そして神経の圧迫によるしびれがある箇所に、ファイテンのアイテムを組み合わせて使用しています。

  • アプローチ: しっとり濃厚なメタックスクリーム ウエットを塗布し、その上から健光浴シャワーを照射します。
  • 体感: 「脚と腰に塗って光を当てると、明らかに動きやすさが変わります。肘の手術後、入院中も手放せませんでした」

「眠れない痛み」を克服し、自律神経を整える:
寝具 & 筋膜スクレイパー

脊髄損傷者に多い悩みが、夜間の神経的な痛み(疼痛)による睡眠不足です。

  • アプローチ: ファイテンのスウェットをご自宅で着用しているという恩田さん。自宅のマットレスや枕もファイテン商品で統一し、筋膜スクレイパーで筋肉をほぐしてから就寝。
  • 体感: 「神経的な痛みで寝付けないのが一番の悩みでしたが、これを使うとカラダが中から温まり、睡眠の質が劇的に上がりました。痛みが和らぐのが本当にすごい」

さらに海外遠征など十分な栄養が取れないとき、必ずファイテンの桑葉青汁を愛飲。「ファイテン信者」と自称されるのも納得なほど、数多くのアイテムをケアのために取り入れています。

未来へのビジョン:有観客の舞台で、全力の「最後」を見せたい

東京パラリンピックは、恩田選手にとって誇らしい舞台であると同時に、大きな心残りがありました。それは「無観客」であったことです。
「声援のない会場で戦ったことは、やはり寂しかったですね。皆さんの歓声が響く有観客の舞台で、全力で挑む姿を見せたい」
東京パラリンピックの後に体調を崩したという恩田選手は現在、左側の肘に重度の故障(肘部管症候群など)を患い、再び手術を余儀なくされました。肘の痛みが続き、剣を振り続けることへの身体的の負担も大きくなりつつある中、フェンシングから他競技への転向も考えているそうです。

「今のカラダを考えれば、フェンシングから転向するのが現実的かなと思っています。肘の状態が完全に良くなるかも見えていない状態なので、何の競技に転身するのかは未定ですけど、どんな形であれ、有観客の舞台に立って、支えてくれた人たちに感謝の気持ちを伝えたい。それができれば本当に幸せです」

自らのカラダを「実験台」にしているかのように、果敢に新しい技術を試し、限界に抗い続ける恩田竜二選手。その不屈の精神の根底には、自分を信じて支え続けてくれる妻・美和さんへの深い感謝と共に、常にユーモアを絶やさずに前を向き続ける不屈の精神力があります。

プロのケアを、あなたの日常に。「ボディケア」が人生を変える

恩田選手がファイテンの技術を絶賛するのは、それが単なる「アスリートのための道具」ではないからです。彼にとっては、障害の後遺症を和らげ、日々を前向きに生きるためのパートナーです。
「強い薬には副作用がありますが、ファイテンは気づいたら楽になっていたという、穏やかで自然な心地よさがあります。それが生活の質を上げてくれるんです」
この「課題解決型」のアプローチは、全国のファイテンショップで、一般の皆様にも提供されています。慢性的な肩こりや睡眠不足に悩む方、あるいは恩田選手のようにカラダに大きな課題を抱えている方まで、専門のアドバイザーが一人ひとりの悩みに寄り添い、最適なソリューションを提案します。
恩田選手が痛みから解放され、再びフィールドに立つ喜びを感じたように、あなたの日常にも「技術」による変化が訪れるはずです。

取材を終えて

恩田選手の挑戦は、まだまだ終わりません。現在、肘の故障によりフェンシングを続けるかどうかの選択肢に迫られる中、他競技への転向を考え、自身に広がる可能性を追求し続けるその瞳には不屈の光が宿っていました。「自分一人の力ではここまで来られませんでした。周りの協力や感謝を、これほど強く感じるようになれたのは、このカラダになったからこそだと思っています」
かつて「足はどこにありますか?」と絶望の中にいた恩田選手は妻・美和さんとの絆の中、そしてまたファイテンの技術を支えとしながら、力強く地面(車いす)を踏みしめ次なる歓喜の舞台を見据えています。恩田選手のその姿は、同じように困難に立ち向かうすべての人々への、希望のメッセージとなるはずです。その競技人生をファイテンはこれからもボディケアを通じて支え続けていきます。

恩田 竜二(おんだ・りゅうじ)プロフィール

1981年生まれ。三重県在住。28歳の時の事故で脊髄を損傷し、車いす生活に。車いすバスケットボール、テニスを経て、30代後半から車いすフェンシングを開始。競技歴わずか2年で2018年アジアパラ大会銀メダルを獲得し、2021年東京パラリンピックに出場。現在は複数の肘の手術を経て、他競技への転向を視野に入れながらトレーニングを再開している。妻の美和さんはアスリートフードマイスターの資格を取得して彼を支え続けている。

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