夢に向かって挑戦する人

夢を叶える為に私が選んだ道

中学生から硬式テニスを始める。大学時代には全日本学生選手権に個人で出場した。プロテニスプレイヤーとして5年ほど活動した後、テニススクールを運営する「株式会社キープスマイリング」を設立。日々のレッスンや大会の運営等、テニスに関する様々な活動を行っている。

浅田 聖司さんのストーリーインタビュー

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「校内で1番下のレベル」から「全国大会出場」へ。

テニスとの出会い

頑張ればどんどん勝ち上がっていけるところが好き。

僕はもともと野球をしていたんです。テニスは、中学生になった時にテニス部のキャプテンに誘われたことがきっかけで始めました。土日は野球の試合、平日は学校でテニスという毎日を続けていたんですよ。でも、2つを両立させていく中で、徐々に野球には限界を感じ始めたんです。その一方で、テニスの「自分が頑張れば勝ち上がっていけるところ」がすごく好きだなと思って、徐々にのめり込んでいきましたね。まだその頃は、テニス部の中でもレベル的に1番下にいたのが悔しくて、自分で考えながら必死で練習を続けました。とにかく頑張って、まずは校内で1位になることが目標だったんです。写真:浅田 聖司さん
頑張れば勝ち上がっていけることに魅力を感じ、徐々にテニスにのめり込んでいった


夢中で練習を続けていくうちにその目標を達成して、次はもっと上を目指そうと決めました。目標は大阪1位だったんですが、そこを目指す中でどうしても勝てない相手がいたんです。必死で戦って決勝まで残っても、その選手に勝てずに終わるというのを何度も繰り返していました。どうしても勝ちたいなと思っていましたが、結局中学・高校と1度も勝てなくて、社会人になって久しぶりに試合で当たった時もやっぱり勝てませんでした。でも今では、その選手とダブルスを組んで一緒に戦っているんですけどね。


テニスに打ち込む日々

大学を背負って戦ったリーグ戦。

写真:浅田 聖司さん
大学時代には全日本学生選手権に出場、念願の全国大会出場を果たした

もちろん高校でもテニスを続けました。高校時代はあえてハードルを高く設定して、大阪で1位の学校から全国大会に出場しても当たり前すぎるんで、あえて2位・3位の学校から狙うことを目標にしたんです。でも残念ながら、目標は達成できなかったんですよね。

けれど大学でもテニスを続けて、そこで全国大会へ出場することを新たな目標にして、テニス部の強い大学が所属する1部リーグでプレイしました。大学時代の1番の思い出といえば、大学対抗のリーグ戦ですね。これまで経験してきた試合とは、全く雰囲気が違いました。OBの方やこれから大学に入るという後輩選手もたくさん観戦に来ますし、大学を背負って戦う「戦場」だったんです。リーグ前になると部内の空気も一変して、逃げたくなるくらいでしたね。気持ちの面で追いつめられて、足のトラブルが出ることも多くなりました。でも、大学2年生の時には、念願だった全国大会に個人で出場することができたんです。

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